2008/12/24 Wed

ビジネスを越えた純愛はあるのか

お金を払うとおしゃべりができるお店で言われたことを信じた結果、
それが嘘だとわかったときに
「裏切られた」「嘘をつかれていた」
ってへこむ人ってやはりいるのだろうか。

お金を払うとおしゃべりができるお店で働く人はそこまで
(うそつき呼ばわり、恨まれる)のリスクを背負うべきなのか。

嘘を嘘だとわかって楽しむ空間、ではない?のかな。
よくわからないのだけど。

嘘を本当だと信じ込んで夢を見る空間、なのかな。

いつか嘘が本当になるかもしれないと思うから、
「嘘をつかれた」「信じてたのに」となるのか。

それとも、本当に、純粋に、「嘘ではない」と思っていたのか。

あまりに嘘が上手で、リップサービスの域を超えることがあるのか。

自分だけは違うんだ、これは本物なんだ。
障害は「お金を払うとおしゃべりができるお店で出会ってしまったことなんだ」ってことなのか。

わからないなぁ。

「お金を払うとおしゃべりができる = お金を払わなければおしゃべりができない」

であるとすると、そこから何もうまれないと思うんだけど。

「お金を払うとおしゃべりができる → お金を払わくてもおしゃべりできるような関係になってきた」

なら、出会った場所がそうだっただけで
嘘を超えた人間関係が生まれていったのだなあと思えるのだけど。

お金を介した人間関係からは、真の人間関係は生まれないと思う。

普通の仕事でも損得以外の何かが生まれて初めて
ビジネス相手ではない人間関係が育まれるものではないかな。

でもきっと、そういう感覚の人もいるのだろうな、と思える程度には大人になってきた。
つもり。
(納得できないけど)

まだまだ甘っちょろいのかもしれないけどさ。
posted by ira’s at 16:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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